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本物の芸術家になる!

私は学生の頃それも小学生の頃は絵を描くことや物を作ることが好き=図工が好きだった。中学になりその延長の美術が一番好きな科目だった。将来画家とか美術系の仕事につきたいと思っていたが消去法で画家ではまず食べていけない。それで美術の先生になりたいと思った。しかしどうすればなれるか分からず、また美術の先生の需要を考えると競争率が高くてなれないと思い諦めた。そしてだんだん美術に興味がなくなっていった。兎も角生活できる収入の得れる仕事につかなければと思い機械(自動車・飛行機・鉄道等)が好きだったので大学で機械科に入った。しかし講義を受けて選択を間違えたと直ぐにわかった。しかしそこですぐに路線を変える勇気がないのでそのまま機械科を出て一般企業に就職した。機械科で唯一の自慢は機械設計で学年で1番だった事ぐらい。就職して上司から将来は設計をして貰うと言われていたら入社後1年経たないうちに在籍していた部署がなくなり工場の生産計画の仕事に就くことになった。それが不幸の始まりでその路線についてしまったお陰で病に罹ってしまった。そして定年前に退職となってしまった。退職後趣味であった写真だけはやる気があったので体調が悪くても撮影の機会があれば撮影しに行っていた。不思議なもので撮影していると体調の悪いのが知らぬ間に良くなっている。そんな事の繰り返しで写真をよく撮っていた。ある時知り合いからパリに作品でも展示したらどうだと言われ、その方法をその知り合いに会って聞こうとしたら、その知り合いが全然逆の事を話すのだ「写真学校も出てないのに何がパリだ。パリに出そうなんて考えが甘い」と。流石に話にならないとその場を去った。そして自分で色々調べたらパリで展示出来る話を見るけることが出来た。今考えればお金さえ出せば展示させて貰えるんだろなーと思った。その後はLe Salon2021・2023(フランス芸術家協会公募展)に入選出来、フランス芸術家協会の入会審査に6点の作品を提出し審査を得て今年の5月入会の許可が降りた。ライカ松坂屋名古屋店のスタップの人に話たら「誰か知り合いでもいたんですか?」と言われた。「あーやっぱりいくらライカと言えど日本のライカで勤めていてはそのような団体に入るには推薦が必要だと思うのだなーと、日展・二科会・JPS・APA等がそのシステムだから仕方がないと」思った。なぜ日本は推薦人が必要なのか不思議でならない。人で判断するのではなく作品で判断するのがその団体のレベルを保つ基準ではないかと思う。話がかなり逸れたが写真はどう頑張っても絵画には負けると皆口を揃えて言う。超写術主義の絵画があるのだから超絵画主義の写真があったて良いのではないかと思う。私のプリントして額装した作品を見た人は皆口を揃えて絵画みたいと言う。だから写真も芸術なのだと言いたい。推薦人に頼ることなく自分の実力で自分の道を切り開いていく事こそが本物の芸術家だと思う。




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